IT業界、40年やってます (老人の独り言) 

現在68歳、IT関連で勉強したい事が盛りだくさんで、目移り状態です(^o^)

昔話 パート8 アメリカ出張 Apollo Computer 本社

 

せっかくアメリカ本社に行ったので、技術的にいろいろと出来るかと思いましたが、特に指示は無く、特にすることも無いので、研究開発部内のソースコードを漁ってました。

 

自分が目標としている Display Manager(DM) のソースが有りました。

当時 Apollo Computer の全てのソースコードは DSEE というソースコード管理上で管理されてました。

 

 

DM の元々の開発は 同じグループに居た Jim Hamilton が行っていましたが、当時は

名前を忘れてしまいましたが、女性技術者が担当してました。その後インド人の女性が引き継いてます。

 

すべて DOMAIN Pascal で記述されていて、日本語のコードは EUC を使って英語日本語の混合することを考えました。

 

2次元のグラフィックス機能は GPR プリミティブを日本語対応にした KGPR(漢字 GPR) を用意して簡単に日本語を表示出来ます。

 

日本語フォントとして、JISの 16x16 と 会社で購入した 24x24 の2種類の日本語フォントを用意しました。

 

 

 

いよいよ Linux Kernel にプログラム言語 Rust が使われます

以前から Google が推していた Rust が Linux Kernel に入ると Linus さんが話したそうです。

C や C++ の次のシステム記述を行うための言語として RUST が以前から使われ始めている様です。

 

すこし勉強しましたが、メモリの管理がめっちゃ厳しいし、とっつきにくい言語だと思いましたが、メモリに問題が起きやすいのでこういう言語は今の時代に向いているんですね。

 

ちなみに Linux を自分が初めて触れたので、1993年頃で、フロッピー2枚でした。会社のノート PC でフロッピーからブートして初めて「ls」コマンドが動作した時は感動しました。

 

しばらくして FreeBSD が流行し始めましたが、Free UNIX 系は著作権の問題などで普及させる事が出来ず、結局その間 LinuxUNIX の業界を完全にシェアーを取ってしまいました。

 

SlackWare や商用化を初めて RedHat など群雄割拠となりましたが、淘汰され今の様になりました。

 

昔話 パート7 アメリカ出張 Apollo Computer 本社

1985 年12月の マサチューセッツ州 Chelmsford のアメリカ本社で、自分が所属したのは研究開発部の User Interface Group で、グループのリーダーは Tom さん(名字は忘れた)総勢10名ほどでした。

彼の前の会社は Wang Laboratories で日本ではほとんど知名度が無いですが、けっこうアメリカでは有名なオフィス向けコンピュータメーカーだった様です。

グループにはアメリカらしく、彼が連れてきたメンバーが多かった様です。

あと在籍してたのが著名なコンピュータ科学者で、当時はソフトウェア技術者だった Jim Waldo (今はハーバード大学の教授)で、滞在期間中は彼のもとで仕事をしました。冗談っぽく言ってましたが、彼は Ph. D を持っています。Ph. D(Doctor of philosophy) って一般的に理学博士を指しますが、彼は哲学博士なんです。

 

グループで仲が良くなったのが、Domain Dialog 開発の Jim Romagna Andy Schulert。特に Jim との付き合いはその後10年以上続きます。Andy Schulertは MIT 出身で優秀なソフトウェア技術者って感じでした。

 

開発言語は全て Pascal でした。自分はあまりはっきりと指示を受けていたわけでは無いですが、Apollo の本社の意向は Jim Waldo が主導していた TML (Text Management Library) の国際対応のヘルプって感じですが。まだ最初は全く TML が出来てなかったので、特に割り当てられて仕事も無かった記憶が有ります。

 

自分で一番大事だと思っていたのが、DM(Diaplay Manager) の日本語化でした。

DMApollo WS にログインすると最初に立ち上がるマルチウィンドウの画面です。日本語フォントの画面出力は既に出来る様にして居たので、後はどうやって ソースコードを手に入れ 日本語フォントを組み込むか考えてました。

 

続く・・・

 

 

 

40年読んでる コミック「ガラスの仮面」に関して

自分が40年に渡って読み続けているのが 少女マンガの美内すずえ著「ガラスの仮面」です。未だ完結して居ないです。
最初に読み始めたのが名古屋大学大学院時代の 1970年代後半で実家に置いといたら、妹に持ってかれてました(笑)
それからアポロコンピュータ時代にまた買って読んでましたが、マンション買って引っ越しする時、処分してました。
 それからしばらく読んでなかったのですが、最近電子書籍で1巻から最新の49巻まで買いました。美内すずえ先生71歳なんで、そろそろ完結しないと、未完の作品になっちゃいそうです。
買ったのですが、読んだのは30巻ほどでまだ20巻ほど未読です。なんかもったいなくて進んで無いですが、自分も年なので、読み終わらず死んじゃわない様に、そろそろ進まないとですね。
*ネタバレ注意
紹介したアニメ映画「竜とそばかすの姫」と同じく、平凡な少女北島マヤが演劇では卓越した能力を発揮し、その天才ぶりに演劇界が最初は警戒して排除しようと動くのですが、その才能があまりに素晴らしく大衆の圧倒的な支持もあり、無視できず受け入れるって話ですね。その間順調ではなく、陰謀から大河ドラマを降板し、演劇界から完全に干される事態から、血の滲む様な努力とその天才的な演技力で奇跡的な復活を遂げます。
テーマとして「紅天女」と言う伝説の劇が有り、それを北島マヤの先生月影千草がその劇を演じる女優を発掘するお話です。その中で、北島マヤは演劇界のサラブレッド姫川亜弓と自他ともに認めるライバル関係となります。月影千草姫川亜弓と共に北島マヤを「紅天女」の女優候補として指名します。それからはますます切磋琢磨して演技力を高め合う関係となります。
 
自分の様な特定の少女コミック好きな爺さんは、表には出ないですが、けっこう居るかと思ってます w
 

アニメ映画「竜とそばかすの姫」を見ました

アマゾンプライムを契約していて、最近アニメ映画「竜とそばかすの姫」細田 守 監督作品を見たので、思うことをつらつらと。

 

とにかく映像美と歌に感動しました。地上波での放送日が7/8 金曜ロードショーで予定されて、楽しみにしてましたが、安倍元首相の殺害という大事件のため、9/23 に延期となってます。まだご覧になってない方には是非オススメします。

 

アニメの初め *ちょっとネタバレ ご注意

主人公 内藤鈴(すず) はわずか6歳の時、事故で母を失いそれ以来心を閉ざし、大好きだった歌を歌うことができなくなってしまう。高校生になった、ある日 50億アカウントを誇る仮想空間「U」への招待リンクが友達 ヒロちゃんから届く。そのリンクを押し美女 ベル(Bell) というアバター As が自動生成され「 U」 の世界に参加する。長い間歌えなかった歌を10年ぶりに歌うと、ずっと秘めてきた驚異的な歌唱力で爆発的に「U」で拡散され、その後の活躍もあり、ベル はたった半年間に「U」の世界で数千万人のフォロワーと2億人のファンを持つ歌姫として活躍する。

 

IT の技術者としてちょっと変と思う部分が有りました。

1. アバター As に視覚や体の所有感を取られているはずなのに、本人はアバターと独立して行動している。

*自分は映画「サロゲート」の様に本人は棺桶みたいな所に入り、アバターを操作するのが自然かと思いました。すくなくともVRゴーグルは付けてないとですね。

 

2. As が「U」の世界で正体をさらす攻撃を「unveil アンベール」と言って、正体をさらしてしまうと元のアバターに戻れないとありますが。

* IT ではデジタルデータをバックアップする事は常に行われるので、よほどオペレータがバックアップを失敗しない限り、戻す事は出来ます。

3. 「U」とのやり取りは普通の市販のワイヤレスヘッドフォンを利用して、視覚、触感など五感の情報を取得してますが・・・

* VRゴーグルやグローブを使うのが合理的かと思いました。

 

4. 「U」の世界に入る様子は描かれてますが、出る様子が描かれて無いです。

*元の世界に戻る時は「U」から突然消えちゃうんでしょうかね?

 

5. 「U」の世界には車、電車やバス、飛行機など移動手段が無い

* 50億のアカウントの利用者が居て、広い世界「U」で As は空を飛べますが、それでは移動手段として足りないかと思いました。

 

6. ベルの「U」での稼ぎは?

アニメの中でヒロちゃんがベルの成功で莫大な収入が得られると言ってましたが、

たとえば YouTube での投げ銭(スーパーチャット)みたいなシステムが有ったり、1回しな無かったコンサートは1~2億ファンが視聴したそうなので、例えば 一人あたりチケットが千円とすると1~2千億円と本当に莫大な費用となったはずです。

 

ちょっと思いついただけで多くの疑問が浮かび上がりますが、作品自身はとても素敵ですので、楽しんで下さい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昔話 パート6

妻と8ヶ月の息子を連れてアメリカの本社が有るマサチューセッツ州Chelmsford に出張でした。1985年12月から出張です。

 

1985年当時は日本では紙おむつは高価で、アメリカの紙おむつ事情とか知らず、布おむつをいっぱいスーツケースに入れて持ってゆきましたが、結局紙おむつが現地では安いので使わず w

滞在先は本社の有る Chelmsford から国道3号で北へ15分位の Nashua と言う街です。この街はこの後10年近く関係した懐かしい街です。

ボストン Logan 空港に着くと、日本アポロコンピュータに長期出張で来ていたジョン・コールさんが日本人の奥さんと迎えに来てくれてました。

レンタカーを借りてもらい、Nashua のアパートまでジョンさんに先導されました。無事アパートに到着して、1 Bed Room(アメリカは家の大きさの目安で Bed room の数で示してました) のこじんまりしたアパートです。聞いた所によると、リタイアしたお年寄りが多く住んでいるそうです。冬の間、庭にリスが来ていたのが不思議な光景でした。

近くの Purity Supreme ってスーパーに行って驚いたのが、品物が全て巨大で、客は大型カートに満載で買ってゆく事です。

最初はビックリしましたが、そのうち自分たちもカート一杯に買うようになりました。

 

いよいよ本社へ出勤です

 

続く・・・

 

昔話 パート5

コロンビアから帰国した所、長崎出張はこれで終わりとなってました。

その後は、製薬会社の仕事など、いろいろと割り当てられなんとなく仕事をしてました。

 

ある日、同じ大学の先輩社員から声をかけられ、日本で始めたばかりの 米国のコンピュータメーカーのApollo Computer の日本支社に入る事になりました。DEC 入社から約3年での転職となりました。当時 Apollo Computer の機種のカテゴリーは エンジニアリング ワークステーション(EWS) と言われてました。競合他社として Sun Microsystems の Sun-1 とかが有った様です。

 

先輩に Apollo で見せられた DN300 の機能を見て非常に驚いた記憶が有り、ますます入社の希望が起こりました。

入社後はアメリカ本社で研修を受けたり、お客さんへの設置や定期保守を担当してました。もともとプログラムをメインで仕事していた関係で、OS の日本語化とかを担当する様になりました。利用言語は Pascal でした。

 

当時エプソンにはかなりの台数が入っていて、エプソンの2次元CAD の開発支援なども行ってました。

そうこうしているうちに、アメリカの本社の研究開発部門へ長期出張の話が持ち上がりました。目的は OS Aegis の日本語化です。

 

今日はここまで・・・