◎学生時代
愛知県の田舎で育ち、高校まで徒歩で通える所に住んでました。
一浪して名古屋大学電気系学部に入学。コンピュータを使ったのは3年生の学生実験で OKITAC 4300C と言うミニコンを使ったのが初めての経験でした。
FORTRAN で割り算の商と余りを出す計算結果を出力する簡単な物でした。あとは機械語に関する物でしたが実験内容の記憶が無いです。
4年生は専門を決めるのですが、情報系はくじで外れて、仕方がなくプラズマ工学の先生の元に配属されます。(武田先生ごめんなさい)
大学院の人の作業を手伝ってまして、卒論が書けると思ってたら、その人はとっとと、終わらせて海外旅行に行ってしまって、残された自分は、他の博士課程の方から課題を出され、コンピュータシュミレーションのプログラムを作って、論文にしました。
でもコンピュータの勉強をしたい思いは強まり、1977年夏に情報工学大学院を受けて合格。
大学の付属研究所にプラズマ研究所が有り、そこで汎用大型富士通 M-190 だったかが使えました。自分の研究室はそこと関係が有るのでよく使いに行きました。
大学院での研究テーマはプログラミング言語 SNOBOL でした。研究室の吉田先生にはマンツーマンで英語の論文を読む指導をして頂いて、とてもお世話になりました。動的メモリの管理方法の論文でした。結局自分はふらふらして SNOBOL の構造化って適当な論文を書きました。
たぶん大学院時代(1978/4~ 1980/3)の成果は UNIX を知ることが出来た事が一番だったかと思います。 その後就職ではその UNIX を仕事で出来る会社を考えて居ました。
それが自分の一生のテーマとなりました。
・・・続く。